登場する日米兵4人のプロフィール。 2014/12/12
彼等は、1944年6月15日から6月23日の間、サイパン島で戦った。
市川源吉は1944年6月16日に戦死したが、他の3人は1945年の春にMeadowsが沖縄に派遣される迄の間、敵・味方に分かれてサイパン島にいた。日本兵の1人は捕虜収容所、もう1人はジャングルに潜伏していたのだ。
彼等は、1942年から1947年迄の5年間、どこで何をしていたか?
元海兵隊員Richard Meadows(90歳でロサンゼルス郊外で生存)
Meadowsは1924年にin Watertown, South Dakota, USAで生まれた。彼の兄達、Billは1941年の6月に、同じくJimは1942年の12月に、既に海兵隊に志願していた。Richardも18歳になった1942年の12月に海兵隊に志願した。彼は、Tarowa島、サイパン島、テニアン島そして沖縄戦に参加した。市川源吉の日記は、彼が6月16日に海岸で戦死した遺体から発見したものである。
1944年6月16日の戦いで戦死した海軍の市川源吉さん
市川さんは1922年10月22日に静岡県の東海道の丸子(まりこ)の宿で生まれた。長田(オサダ)西小学校を卒業し、1941年3月長田西青年学校を卒業後、近くの日本紅茶に勤務した。その後、横須賀の海軍空挺団に入隊。1943年の9月サイパン島に派遣された。市川源吉は1943年12月から1944年6月まで約70日分の日記を付けた。2月23日には、後にB29の基地になったテニヤン島でグラマンと交戦した。その後、6月15日に上陸した海兵隊員に対して、16日未明に攻撃をかけて戦死した。
負傷して米軍に収容された陸軍の岡崎輝城さん(92歳で生存)
岡崎は1921年(大正10年9月28日生)年香川県坂出で生まれた。1942年21歳になり、徴兵検査で甲種合格で直ちに入隊、満州の陸軍司令官が日本に来ており満州第929部隊第2大隊川口隊に入隊。満州の旅順・奉天を経て、1942年3月、ソ連との国境である東寧(現在の中国黒竜江省牡丹江市)にて、陸軍の野戦重砲兵第9連隊に配置された。満州第929部隊第2大隊川口隊に配置されたが、マリアナ諸島の戦況悪化とともに、サイパンに移り、サイパン備2551部隊中島部隊黒木隊に所属。3月19日サイパンに入港した。6月23日に米兵の機関銃で負傷し、気を失ったが、米兵に収容された。アイオワ州とサイパン島の捕虜収容所に入れられ、1946年12月にハワイを出て、1947年正月に横浜港に着いた。
ジャングルに1年8ヶ月間潜伏した海軍の井手口義雄(89歳で生存)
1925年10月8日生、熊本県水俣出身。10人兄弟の3番目。口減らしのためもあって、1942年に海軍に志願した。海軍入隊後、佐世保で2-3ヶ月訓練を受けた。駆潜艇22号に乗ってラバウルなどへの南方への補給船の警備にあたった。その後。横須賀の「砲術学校合格」の通知で1942年の秋に横須賀に移った。横須賀で入隊したのは、海軍落下傘部隊。隊長は唐島中佐。2ヶ月間(本来は1年)の訓練を受けた。1944年(S18)2月、横須賀からサイパンへ向かった。6月15日の米国海兵隊の上陸後、夜間に匍匐前進(ほふくぜんしん、伏せて肘で前へ進む)中に隊から離れて1人になってしまい、終戦を知らず1946年春に投降するまで、ジャングルに潜入していた。サイパンの捕虜収容所生活の後、1946年12月に横浜港に着いた。